サヤカが夢見た素敵な予言

1997年に起きた娼婦殺人事件が、2012年、東京電力の解体とクロスする

 

真犯人の検挙に至らず放置された事件のみならず、仮に、裁きを受け、司法手続き上、解決をみた事件であっても、実行犯の内面を捉え切ることは容易ではない。

だが、というより同様に、殺された者の実像もまた一点を結ばない。

サヤカ自身その像は阿修羅だ。見る者を挽き付け、拒絶する死者の変幻体。
写真やデマが氾濫し、虚像は実像を喰いちぎって肥大する。ダッチロールの偶像は薄い崇拝を呼び、ネットの網目から心理的モアレパターンを引き起こして焦点を焼く。
この者に遠近感はない。

 

  • 序―娼婦サヤカのこと
  • 証拠論―司法の身体DNA
  • 娼婦論―メドゥサの憧憬
  • トポス論―村上春樹が描く土地
  • 解体論―魔物が棲む東京電力
  • シナジー論―原子力利権

 

序 娼婦サヤカのこと

報道や公的資料も含め、ネットや巷に落ちたサヤカ像を拾う。

得られる「事実」は枯れ葉のように軽い。此処では一つ一つを検証を取る必要もない。裏付けのない誤謬、根も葉もない噂もまた娼婦サヤカをめぐる真実である。

 

サヤカに関する証言

サヤカは、1957年から39年間、実在した青いツーピースを好んで着た女である。
以下は、彼女をめぐる証言と噂の一部だ。

  • サヤカの黒髪は、際立つ長さだ。
  • サヤカの正職は娼婦である。
  • サヤカという名はその源氏名だ。
  • 同時に、サヤカは、東京電力株式会社に勤務したエリート社員である。
  • サヤカの父は、東京電力工務部を統括する副部長であった。
  • サヤカは、病的な父性愛を抱えていた。
  • サヤカは、毎夜、道玄坂地蔵の前に立ち、客を取った。
  • サヤカは、反原発に関する論文を執筆した。
  • サヤカの父もまた、反原発を主張する東京電力の幹部であった。
  • サヤカは、何者かによって絞殺死体となって発見された。

サヤカは今なおネット界に増殖し続ける。

蘇生することはないが死滅することもない。無限に膨張する宇宙のように、過去と未来を往来し、薄い切れ筋の眼で見下げながら、漆黒の網目の世界を完全に生き延びるだろう。

いったいサヤカの行き先はどこか。

 

サヤカが生きた時代

サヤカが生きた時代をざっと眺める。

1997年、サヤカを巡る報道は、同時期、兵庫県神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件に掻き消された。

同事件は2月10日に発生し、その後、3月、5月と連続する。警察が公開捜査に踏み切ったのは5月26日、犯行声明文には、「さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君」と書き始められた。6月4日、第二の声明文が神戸新聞社に届く。記載内容から、警察は、秘密の暴露とみなし、筆跡鑑定の結果、実行犯を特定した。少年逮捕に至るのは6月28日のことである。

同事件に先立ち、サヤカ殺害の実行犯とみられるネパール人が検挙された。5月20日のことである。

ペンネーム酒鬼薔薇聖斗は、「透明な存在であり続けるボク」でありながら、「ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。」

他方、サヤカの生は。

限りなく透明であり続けるとき、自身、解放されるのか。執着の有無は。

 

サヤカが生息した組織

サヤカの肩書きは、東京電力東京本社企画部経済調査室副長。

組織は完全なヒエラルキーで固められている。役員の下に、秘書部、企画部、技術部、環境部、システム企画部、広報部、グループ事業部、総務部、労務人事部、経理部、用地部、資材部、電子通信部、国際部、技術開発本部、営業本部、電力流通本部で構成される。

このうち企画部は、各組織の業績管理、組織体制、経営全般を調査、統括する企業の中枢であり、歴代役員はこの部が輩出してきた。

ちなみに、サヤカの父は、電力流通本部下の工務部に所属した。

東電は企業の沿革を次のように記す。

  • 1951年5月 創立、資本金14億6千万円(現在の10電力体制の原型)
  • 1953年11月 創立後、初の火力発電・潮田火力3号機が運転開始(5万5,000kW)
  • 1959年8月 千葉火力発電所4号機の完成で火力発電の出力が水力発電を上回
  • 1965年12月 初の揚水式発電所・矢木沢発電所2号機が運転開始(8万kW)
  • 1969年8月 夏の最大電力が冬を追い越す
  • 1971年3月 原子力・福島第一原子力発電所1号機が運転開始(46万kW)
  • 1980年4月 第二次石油危機など燃料費高騰による電気料金改定(52.33%引き上げ)
  • 1983年4月 東京・光が丘パークタウンで地域熱供給開始
  • 1984年4月 お客さまの声をサービスの向上に活かす「エコー・システム」発足
  • 1985年12月 初のコンバインドサイクル発電・富津火力発電所が運転開始
  • 1987年10月 コンビニエンス・ストアで電気料金収納始まる
  • 1992年12月 環境問題に対する取り組みをまとめた「環境行動レポート」を公表
  • 1995年5月 原子力発電の累計発電電力量が1兆kWhを達成
  • 1996年3月 「経営計画の概要」を公表
  • 1997年1月 電力卸供給入札の落札者が決定
  • 1997年7月 柏崎刈羽原子力発電所7号機が運転開始。全号機が完成し、世界最大規模の原子力発電所になる(総出力821万2,000kW)
  • 1998年2月 電気料金改定(4.20%引き下げ)
  • 2000年3月 特別高圧の電力小売自由化開始
  • 2000年3月 初の事業用風力発電・八丈島風力発電所が運転開始(500kW)
  • 2000年10月 電気料金改定(5.32%引き下げ)
  • 2000年10月 グリーン電力基金開始
  • 2001年1月 「むつ調査所」開設「リサイクル燃料備蓄センター」立地可能性調査を開始
  • 2001年3月 「経営ビジョン」を発表
  • 2001年7月 5年ぶりに最大電力の記録を更新(6,430万kW)
  • 2002年4月 電気料金改定(7.02%引き下げ)
  • 2004年8月 原子力発電所の累計発電電力量が2兆kWhを達成
  • 2004年10月 電気料金改定(5.21%引き下げ)
  • 2004年10月 東京電力グループ中期経営方針「経営ビジョン2010」を公表
  • 2005年4月 電力小売自由化範囲の拡大
  • 2005年11月 日本原子力発電(株)共同出資により「リサイクル燃料貯蔵(株)」を設立
  • 2006年4月 電気料金改定(4.01%引き下げ)
  • 2007年6月 日本初の1,500℃級コンバインドサイクル発電・川崎火力発電所が営業運転開始(1号系列第3軸50万kW)
  • 2008年9月 電気料金の見直し
  • 2010年9月 『東京電力グループ中長期成長宣言 2020ビジョン』発表

※以降、記載なし。

 

サヤカの殺害から4か月後、柏崎刈羽原子力発電所が運転を開始する。1号機から7号機までの7つの原子炉を有する当発電所は、ブルース原子力発電所(カナダ)を抜いて世界最大となる。

柏崎刈羽原子力発電所は、国策のシンボルであり、東京電力の威信をかけ、技術、資本、労力すべてを結集させ、手に入れるべくして手に入れた金字塔である。その中枢の推進者が東電本社企画部である。

サヤカは、そのとき、そこにいたのである。そして、そこで反原発の論文を書いた。

 

サヤカの職業 「娼婦」

殺害時、サヤカは東京電力社員管理職にあったが、同時に娼婦として収入を得ていた。営業エリアは、主に五反田、渋谷界隈である。

東京電力の社員らは、彼女の日常の売春行為を認識していたが、サヤカの直属の組織はこれを「病」として黙殺した。

日本の現行法は娼婦を職業と認めていないが、多くの売春婦にとって生業が正業であるべきとも考えていない。職業観が個人的な領域内にある観念だとして、大企業の社員であり、娼婦であることをもって、いずれの業が主でいずれが従か、比較することは意味がないかもしれない。あるいは単に経済活動に過ぎない場合、両者は均衡を保つのか。

今でさえ、売春が聖職として権威を放ち、売春婦が女神として崇められることがある。

果たして、サヤカの場合は。

 

サヤカの背中「地蔵の涙」

 

2012年初春、サヤカの死に場所を訪ねた。

サヤカが通り過ぎていった西永福の改札口、電車を降り立つ渋谷駅、服を着替えた東急本店、毎夜、客を引くために立ちつくした地蔵前、聖職を全うするために立ち寄ったホテル、そして殺害されたアパート。

サヤカを追うように、これらの場所を探し、写真に納め、土地を彷徨った。レンズに映る風景は色を失くして、溶け、時間が静止する。息苦しい錯覚を何度も覚えた。事件はこの風景と偶然ではない。ある衝動が合致し、生まれたものだ。

地蔵尊の顔を拡大して見ればわかる。薄い口紅を引き、うっすらと、涙が流れている。彼は、毎夜、客引きのために立ちつくし、長過ぎる黒髪を垂らしたサヤカの背中を真っ直ぐに見続けた。

サヤカは、地蔵の涙に気付いていたか。

 

 

*本編は、1997年3月、東京渋谷で起きた東京電力社員殺害事件を題材として書かれる「読み物」である。