サヤカが夢見た素敵な予言

1 証拠論

■最大の謎

この事件で、殺害時刻および殺害場所は特定できていない。

公訴事実は殺害された日を1997年3月9日午前零時を回った頃と推定するが、殺害を見た者はおらず、殺害した者も今なお分かっていない。遺体が発見されるまでの10日間、神泉のアパートの一室に横たわっていたというのか。

第一審判決は、「解明できない疑問点」として、次の点を挙げている。

  • 精子頭部の崩壊状態
  • 遺留コンドーム及び包装コンドームの不在
  • 第三者の陰毛の存在
  • 定期券入れ及び定期券
  • 101号室をサヤカが独自に使用していた可能性
ここで、気になるのは、サヤカが所持した定期券の発見場所である。

サヤカのものとみられる定期入れおよび定期券は、同年3月12日午前9時40分頃、豊島区巣鴨五丁目の宅地で発見されている。殺害現場とされた渋谷区神泉のアパートからは、直線距離にして約10キロ、都内の交通事情から3,40分程度はかかる。

3月8日のサヤカの行動には判明していない空白の時間帯がある。

■定期券の記録

定期券に記された最後の記録は、同年3月8日午前11時25分、京王井の頭線西永福駅で打刻されている。当駅は杉並区永福三丁目に住むサヤカの最寄り駅である。

また、サヤカが所持していたショルダーバッグから、JR東日本発行のイオカードが発見されているが、履歴によれば、JR五反田駅の2台の自動券売機から、190円以上と130円以上の2枚以上の乗車券が購入されている。

 

■3月8日の足取り

1997年3月8日当日のサヤカの足取りを追った。

11時20分頃、杉並区永福三丁目の自宅を出る。
11時25分、西永福駅改札口から駅構内に入る。
渋谷駅で下車し、東急百貨店東横店食品売り場でサラダを購入。
山手線で西五反田駅へ。
12時30分頃、西五反田二丁目にあるSMクラブに出勤。
17時30分頃、退店。
18時40分~19時頃、渋谷駅ハチ公口前で常連客と待ち合わせる。円山町1番19号のセブンイレブンに立ち寄る。
19時13分頃、ホテルに到着。
22時16分、ホテルをチェックアウト。道玄坂派出所前交差点で常連客と別れる。

その後の足取りは不明である。

以下は、時間帯も含め、捜査記録および検察らの推認に基づく。

3月8日22時30分頃、サヤカと思われる女が、円山町6番10号の青果店前でに客引きを行う。その他、女は、同町5番萩原ビル前付近の道玄坂で、4、5人の男に声をかけている。
3月8日23時25分頃から45分頃、男女のアベックが喜寿荘1階通路に通じる西側階段を上がっていったのが目撃される。
3月9日午前零時前(23時45分頃)、喜寿荘203号室の住人が同荘101号室から「あえぎ声」を聞く。 同日午前零時前後過ぎから零時半前の間に犯行着手。

3月12日、サヤカの母親が高井戸署に捜索願いを届出る。

以降、捜査が動く。

同日、渋谷経由西永福・新橋間の定期が入った被害者の定期入れが、都電荒川線新庚申塚駅に近い巣鴨五丁目で発見。

3月19日、サヤカの遺体が渋谷区円山町16-8 喜寿荘101号室の空室で発見。
5月20日、喜寿荘隣りの粕谷ビル401号室に住むネパール人を逮捕。

 

 

■定期券に関する地裁判断

発見された定期入れに関連し、裁判所は、第一審で次の判断を下している。

四 被害者の定期券入れについて

1 被害者の定期券入れ(以下「本件定期券入れ」という。)には、被害者が日常的に使用していた被害者名義の定期券(利用区間が西永福駅から地下鉄新橋駅まで(地下鉄銀座線・渋谷経由)・利用期限平成9年3月1日から同年8月31日までの6か月間)が入っていたが、3月12日午前9時40分ころ、東京都豊島区巣鴨の民家の敷地内(JR大塚駅及びJR巣鴨駅から図測で1125メートルに位置する。)で発見された。
2 検察官の主張
(一) 検察官は、(1)被害者の所持品であるイオカード(JR東日本で発行される、金券同様のもの。)の使用履歴等から、被害者がその日、前記五反田のSMクラブから退出した後、JR五反田駅で190円以上の乗車券を購入し、被害者自身がJR巣鴨駅やJR大塚駅付近に赴き、本件定期券入れを遺失した可能性も否定できない、(2)被告人が現金と同時に本件定期券入れを奪い、本件定期券代金約6万円を払い戻そうとしたものの、被害者本人でないことから換金することができずに、やむなく投棄したとも考えられるなどと主張する。
(二) 前記定期券が3月8日午前11時25分、前記井の頭線西永福駅への入場時に最終的に使用されており、それ以降はその使用履歴を示す証拠はなく、本件定期券入れが前記民家敷地内に至った事情については、全く解明されていないのである。しかしながら、前記定期券が最後に使用された当日の深夜ころには名義人である被害者が殺害されている上、その約3日後に本件定期券入れが発見されたというのであるから、本件の犯人が本件定期券入れを持ち出して投棄したというのは、十分に考えられるところである。
 101号室で発見された被害者の所持するイオカードの使用履歴等から、被害者自身がJR巣鴨駅やJR大塚駅付近に赴いた可能性があるとの検察官の前記(1)の主張について検討すると、本件ショルダーバッグから発見されたイオカード3枚についての捜査の結果、JR五反田駅の2台の自動券売機を使用して、190円以上と130円以上の2枚以上の乗車券が購入されていることが認められるところ、当日の被害者の行動状況を考慮すると、右乗車券購入は前記五反田のSMクラブを退出した午後5時30分ころからJR渋谷駅ハチ公前で甲野と待ち合わせた午後7時ころまでの約1時間30分の間に行われた形跡が濃厚であるというのであり、そうすると、被害者は、JR五反田駅からJR巣鴨駅又はJR大塚駅付近まで赴き、さらに再びJR渋谷駅まで戻ったということになろうが、甚だ慌ただしい時間の使い方と思われ、なぜそのような行動に出なければならなかったのか、また、なぜ2枚以上の乗車券を購入しなければならなかったのか、全証拠によってもこれを解明することはできない。
 ところで、捜査官は、被害者が本件犯行当日JR大塚駅又はJR巣鴨駅方向に出向き、遺失した可能性があるなどと主張する。しかし、本件定期券入れの発見状況に照らすと、何者かによって前記民家の敷地内に投棄されたことは明らかであるが、被害者本人が自己の定期券入れを捨てることは到底考えられない上(前述のとおり、検察官の見解によれば、被害者は犯行前に101号室の西側窓下に使用済みのコンドームをパッケージ等とともに遺棄しているというのであるが、午後5時30分以降の当日の行動に照らせば、被害者自身が本件定期券入れを投棄したとすると、被害者には複数回の売春をする機会はなかったことになると思われるし、被害者がそのような行動に出なければならないような事情も見当たらないのである。)、仮に、被害者が遺失したり、奪取されたことがあったとしても、被害者がこれに気付かなかったとは到底考え難く、被害者の性格等からして、そのまま放置するとも考え難く、直ちに遺失届等を提出するなどしたはずであるのに、そのような行動に出た形跡は皆無であり、本件定期券入れを拾ったり奪ったりした者がいたとしても、どうしてこれをわざわざ民家の敷地内に投げ捨てたのか、合理的な説明を加えることは困難といわざるを得ない。そうすると、本件売春客である本件犯人が、本件犯行時に、現金4万円のほかに、本件定期券入れも奪い、何らかの理由で投棄したと考えるのが最も妥当な結論とも思われる。
 右(2)の検察官の主張について見ると、仮に、被告人が本件犯人であるとすれば、どうして現金のほかに本件定期券入れまで奪ったのか、本件定期券入れの発見場所付近には土地鑑がない被告人が、わざわざそこまで赴いて民家敷地内に投棄するという行動に出たのか、いずれの点からも説明が付かないといわざるを得ない。この点、検察官は、本件定期券代金を払い戻そうとしたが被害者本人でないことから換金できずに投棄したとか、犯人が自己の生活領域ではない場所を選んで証拠を投棄することは不自然な行為ではないなどとも主張する。
 しかしながら、本件の犯人は、本件財布を含む本件ショルダーバッグごと奪うというような態様での奪取はしておらず、本件財布内の紙幣だけを抜き取るという沈着冷静ともいえる行動に出ていることがうかがわれるのであって、定期券の代金払戻しを企図して本件定期券入れを奪い取りながら、その後本人ではないからとの理由で払戻しを拒否されるや(そのような拒否を受けた者が存在することは証拠上一切見当たらないことを指摘しておく。)、払戻しを断念して一転投棄したというのは、冷静さを欠いた場当たり的な行動とも考えられないではなく、右のように沈着冷静とも思える本件犯人像とはそぐわないものがあることは否定できない。仮に、被告人が自己の生活領域ではない場所を選んで証拠を投棄したと解しても、本件のように、いかにも早期に発見して下さいとばかりに、民家の敷地内に投棄するのではなく、より人目に付きにくい場所等を選んで、隠匿したり、投棄することは十分に可能であったと思われ、いずれにしても説得力に富む合理的な説明は考えられないところである。仮に、被告人が捜査かく乱を意図したのだとしても、勤務証等が入った本件ショルダーバッグを101号室に放置したまま、なぜ本件定期券入れを本件のように投棄したのかについての合理的説明は甚だ困難と思われる。

 

■定期券に関する高裁判断

以下は、上記原審の検討に対する東京高裁の判断である。高木俊夫裁判長、飯田喜信裁判官、芦澤政治裁判官らの作文による。

3 被害者の定期券入れの発見

関係証拠によれば、本件犯行3日後の3月12日午前9時40分ころ、豊島区巣鴨の民家敷地内で、その住人が被害者の定期券入を発見して、警察に届け出たこと、中には、被害者名義の定期券(区間は、井の頭線西永福駅から地下鉄新橋駅まで。期間は、3月1日から6か月間。代金は、7万円)等が入っていたこと、同定期券には、3月8日午前11時25分の西永福駅入場が最終使用の痕跡として残されていたことが認められる。右定期券入れがどうしてそのような場所で発見されたかについては、証拠上判然とせず、未解明のままであるといわざるを得ない。その点が幾分かでも明らかにされれば、本件の解明に何らかの寄与をなし得るものと考えられるけれども、これが明らかでないからといって、それゆえに被告人と本件との結び付きが疑わしいということにならないことは、本件証拠に照らして見易い道理である。原判決は、右定期券入れが発見された場所付近につき被告人が土地勘を持たないことを被告人に有利な事情として指摘するが、そのような見方は相当とはいえない。